恋人たちの永い午睡
「熱く、ないんだろうか……」
誰にともなくひとりごちる。
所在なげに立ちすくむワポーリフの視線の先には、うつらうつらと舟をこぐモリナス。ペタリと腰を落とし、格納庫の壁にしどけなく上体をよりかからせている。その姿態は、ワポーリフの贔屓目を差し引いても少々、否、かなりなまめかしい。
――若い連中には目の毒だな。
そういうお前はどうなんだと四方八方からツッコミが入りそうな感想が、脳裏をよぎる。
とはいえ、状況はなかなかに深刻だった。
モリナスがここを昼寝の場所と思いさだめたのは、恐らくまだ日が十分に高い時分だったのだろう。薄暗い格納庫の床はひんやりと冷たく、開けた甲板から吹きこむ風は肌にこころよい。まさに、昼寝にはうってつけの環境だったはずだ。
ほんの十分ほど前までは。
ワポーリフは分厚いグローブをはめた手を、目の上にかざした。
天頂を離れ、水平線に向けてゆるやかに下降をはじめた太陽は、今や格納庫のかなり奥の方まで強い日差しを投げかけている。それも、そろいにそろってふたつとも。この状況が長引けば、モリナスの柔肌にのっぴきならない事態が生じるのは、火を見るよりも明らかだ。
「さて、どうしたものか」
彼女を目覚めさせることなく、速やかに場所を移動させたい――。この瞬間、それがワポーリフにとって唯一無二の至上命題となった。
ところが悲しいかな、これが言うほどには簡単ではない。
ワポーリフの見るところ、モリナスの眠りは熟睡にはほど遠い。少しでも身体に触れれば、たちどころに覚醒してしまうだろう。同じ理由で、自分の上着や毛布を着せかけるという策も使えない。
にっちもさっちもいかないとは、まさにこのことだった。
彼女の安眠を妨げたくない――ただそれだけのことが、これほどまでに難しいとは。
かといって、このまま現状維持というわけにもいかない。それでは悩んだ意味がなくなってしまう。
どんなシチュエーションであれ、ワポーリフはモリナスが傷つくところを見たくなかった。たとえ、それが日焼け程度の軽微なものであっても、だ。
「惚れた者の弱み、なんだろうな、きっと……」
彼がこんなにも心を痛めていることなど知らぬげに、モリナスは今も規則正しく寝息を刻んでいる。どこまでも無防備な、美しい寝顔。
吸い寄せられるように、一歩、二歩と歩を進める。
彼我の距離が手を伸ばせば届きそうなほどにまで近づいた時、ワポーリフはハッと我に返った。
危ないところだった。何がどう危ないのかは、自分でもよくわからなかったが、とにかく色々と危険な状況だったのはまちがいない。主に精神的な意味で。
中途半端に宙を泳いだ両腕を、あわててぎゅっと胸元に引きつけた。
モリナスはシヴュラだ。テンプスパティウムに仕える聖なる巫女。万にひとつも、汚されることなどあってはならない。何人にも。
信仰心厚い宮国人の一人として、ワポーリフ自身、そんなことは百も承知している。
そう、理解しているのだ。頭では。
けれども、人は決して完璧たり得ない。理性と感情はしばしば意見をたがえ、衝突する。葛藤につぐ葛藤が、やがて人を内側からまっぷたつに引き裂く。
己のすべてをかけてモリナスを守りたい、絶対に傷つけたくないと願いつづけてすぎた幾星霜。ところが、その一方で、彼女に触れなんと無意識のうちに手をのばす自分もまた、確かに存在しているのだ。よこしまな感情を宿した指先ににじむ脂汗の冷たさに怯えながら。
今はまだいい。まだ耐えられる。
だが実際問題、いつまで抑えこんでいられるだろうか。このどろどろと湧き上がるような衝動を。
みずからの手でなす涜聖(とくせい)への誘惑を。
そして、こうも思うのだ。
戦争が終わるのが先か、ワポーリフ自身の理性の針が振り切れるのが先か。
あるいは、モリナスが硝煙たなびく蒼穹に散るのが先か――。
ぞくりと全身が震えた。
――駄目だ、それだけは……!
想像するだにおぞましい。吐き気がする。あまりにもリアルなその感覚に、思わず口と胃のあたりを手で押さえてしまったほどだ。
しかし、強烈な嫌悪感に誘発されたかのように、ワポーリフの脳裏には“その瞬間”が、つかの間、鮮明な映像となって映し出された。
敵機の激しい十字砲火を浴び、ついには被弾するウェルテクス。黒煙を激しく噴き上げながら墜ちていく。どこまでも、どこまでも。
そして、その断末魔の姿を、ワポーリフはアルクス・プリーマの甲板から、ただ茫然と見つめることしかできないのだ。必死に手をのばしても、声をかぎりに叫んでも、決して届くことはない。
はじまった時と同様、唐突におとずれる永遠の別れ。
――嫌だ! 絶対に嫌だ!!
今はまだ、単なる仮定の話にすぎない。未来に向かって放射状にのびる、可能性という名の無数の糸のうちのあえかな一本。
けれども、絶対に起きないと断言することもできない。誰にも。たとえ、テンプスパティウムその人であっても。
改めて、純然たる恐怖が湧き起こる。まだ、何がどう転ぶか皆目見当がつかない今の段階で、こんなにも生きた心地がしないのであれば、もし万にひとつ実際に事が起きてしまった時には、いったいどれほどの衝撃が自分を襲うのだろう。
「私には何も、どうすることも、できない……」
この絶望。この無力感。
午後の穏やかな日差しが、悄然とうなだれる青年の右半身にいくつもの陰影を刻みこむ。
ふと視線を落とすと、モリナスが微笑っていた。ほんのりと。楽しげに。どんな夢を見ているにせよ、少なくとも悪夢ということだけはなさそうだ。
何となく、ホッとした。
モリナスには――モリナスだけには“いい夢”を見て欲しかった。
もちろん、そんなものはただの我がままだ。どのみちワポーリフには、彼女の夢に干渉する権限もなければ、能力もない。神ならぬ身である以上、それはしごく当然のこと。
だが、今や外の世界には、国家の存立を揺るがすほどの暴力と危険が満ちあふれ、気持ちを休める時も場所も皆無に等しい。だからこそ須臾の間、心を遊ばせるまどろみの中くらい、現世の憂いや悲しみとは無縁であって欲しかった。
それは祈り――信仰とは似て非なる、より個人的にして根源的な、むき出しの願望。
唐突に、スッと肩の力が抜けた。
そう、確かに、一介の整備士にすぎない自分にできることはかぎられている。向こうは天下にその名を知らぬ者なきシムーン・シヴュラ。たとえ口が裂けても、あなたを守りたいなどと言えるはずもない。
しかし、守ることは無理でも、支えることならばできる。
苦境の時に、そっと手をさしのべることも。
ワポーリフは息をひそめて、もう一歩分だけ距離をつめた。風向きが逆ならば、愛用の工具でぱんぱんにふくらんだ作業用ズボンのポケットを、モリナスの髪の毛がくすぐるほどの近さまで。
その場にたたずんだまま、素早く左右に目線を投げかけた。太陽と自分、モリナスの位置関係を、それぞれ慎重に推し量る。
――よし、完璧だ。
満足げにひとつうなずいて、それからようやく壁に背中をあずけた。
笑いたければ笑え。何を馬鹿なことを言いたければ言え。もちろん面と向かってでも、こちらはいっこうにかまわない。
先ほどまでの鬱々とした気分はどこへやら、今やワポーリフは意味もなく意気軒昂だった。胸の前で組んだ腕に、ひときわ力がこもる。
日ごろの喧騒が嘘のように静まり返った格納庫。気まぐれに吹きつける風が、時たま不満げに唸り声をあげることをのぞけば、音らしい音はひとつもない。近くにいれば、それこそ耳を聾さんばかりに大音響をとどろかせているであろう、アルクス・プリーマの巨大なヘリカル・モートリスも、ここでは足裏にわずかに伝わる細かい振動で、ようやくそれと気づく程度にすぎなかった。
畑の真ん中に打ち捨てられた案山子よろしく、ただぽつねんと立ち尽くしているだけの時間が、淡々と流れていく。
だが不思議と、退屈とは感じなかった。それどころか、この奇跡のような静謐さをたたえた空間を、今やワポーリフは心の底から楽しんでいた。
シムーンと相対している時とはまた別種の充実感が、ゆるやかに全身を包みこむ。
太陽の降下に合わせて立ち位置を微調整する以外は、ほとんど身動きもままならない。そろそろ両足、ことにふくらはぎのあたりがだるさを訴えはじめてもいる。
自己満足にもとづくささやかな献身的行為とはいえ、これらの“代償”から完全に無縁でいられるわけではなかった。
けれども、今のワポーリフにとって、そんなものは本当にどうでもいいことだった。それこそ痛くもかゆくもない。
理由は簡単、今自分が人の役に立っているという確かな実感――手ごたえと言ってもいい――があるからだ。
相手が他ならぬモリナスともなれば、なおさら。
どんな金銀宝石よりも貴重な一瞬一瞬を、じっくり味わい咀嚼する。
もしかしたら、次はないかもしれないのだ。そう思うと、漏れ聞こえてくる寝息のひとつひとつさえもが、かぎりなく愛おしい。
――もう少し、もう少しだけ……!
呪文のように繰り返される声なき祈り。
時おりかすかな寝言をつぶやく眠り姫と、彼女を一心不乱に見守る黒髪の騎士の物語に、この先いつピリオドが打たれることになるのか。それはテンプスパティウムのみぞ知る――。
Fin.
えー、そんなこんなでワポモリSSです。
拍手御礼として書いたものをのぞくと、これが正真正銘、初のサイト書き下ろし作品になります。
……って、すみません、いくら何でも遅過ぎですね(滝汗)。
しかも、気のせいか、ワポが妙にストーカーちっくなことになってしまっているような……。
我ながら、どこから突っ込んでいいかわかりません(爆!)。
ちなみに、この『恋人たちの〜』には裏設定的な後日談がありまして、ワポーリフが眠れるモリナスとの幸せな時間を思う存分堪能することができたのは、ひとえに上司思いの部下達の深謀遠慮があったからこそということになっています。
班長殿の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ!くらいの鼻息で、皆さんそろって物陰から、二人の様子を静かに見守っていたわけです。
いや〜、実にいい話です、美談です(ホントか!?)。
とはいえ彼らも、ひと皮むけば立派な人の子。
この時目撃した上司の愉快な百面相っぷりを、末代に至るまで飯のタネ&酒の肴にしたことは言うまでもありません(苦笑)。
閑話休題。
近年オタクな人達、とりわけ一部の男性陣の間で、“男の娘”なるものが秘かなブームだそうです。
男の娘――すなわち、女装した男の子。
基本的には二次元限定のムーブメント……らしいです、あまり詳しいことはわかりませんが。
なので、絶対的に可愛くないとダメ!とか、対象はあくまで男の“子”に限る!等々、細かい制約(?)が幾つも存在するんだとか。
ややこしくも、なかなかに興味深い趣味嗜好ですが、そこでふと思ったのが、この男の娘スキーな方々の目に、シムーンはいったいどう映ったのだろうということでした。
第25話「パル」で、泉から戻ってきた時点のフロエとヴューラは、考えようによっては、まさに“男の娘”そのもの。
外見・服装共に完全に女性でありながら、中身は間違いなく男である彼女達(彼ら?)に、はたしてその手の萌えを覚えるものなのかどうか、是非ともご意見をうかがってみたいところです。
そして、もしフロエ達が許容範囲であるのならば、一歩進んで、さてワポーリフは……?とさらに質問を畳みかけたくなるのが、オタクの悲しい性(さが)。
いや〜、だって気になりません? こーゆーの……(汗)。
それにしても、作中一、二を争う巨乳の持ち主であるヘタレ青年(←嘘は言ってませんよ、嘘は)と、機械マニアを地で行く美少女との恋愛ストーリーなんて、今さらながら、いったいどちらのスタッフ様が思いついたものなんでしょうか。
ことシムーンに関しては、このワポモリに限らず、製作サイドにお伺いを立てたいあれやこれやが多すぎて困ってしまいますです、いえ本当に……(ため息)。
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