秘 密




「ふーん、そういうことだったんだ」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 あまりに唐突すぎて、それが自分に向けられたものかどうかさえ。

「……アーエル?」

 振り返ると、扉にもたれかかるようにして黄金色の髪の少女がたたずんでいた。胸の前で腕を組み、こちらにひたと視線をすえている。
 その謎めいたしたり顔に、なぜか頭の芯がカッとなった。

「何じろじろ見てるのよ。私に何か用?」

 だが本当は、こう訊きたかったのだ。いつからそこにいたのだ、と。

 部屋には自分一人きり――そのつもりだった。
 この作業をするのは、なるべく周囲に人の眼がない時にと、秘かに思い定めていたから。

 しかし、二人で一部屋という割り当てだったアルクス・プリーマとはちがい、ここメッシスではドミヌーラをのぞくコール・テンペストのメンバー全員が、ひとつところに押しこめられている。だから、いつもはレースカーテンをぴっちり閉め切ることでプライバシーの確保に努めていた。

 それが今日、この瞬間にかぎって、カーテンを開け放していた。
 要するに、油断していたのだ。

 今朝は珍しく寝覚めが悪かった。夢見が良くなかったような気がするが、内容はさっぱり覚えていない。
 とにかくそのせいで、朝のシャワーに向かうのが一番遅くなってしまった。三日に一度は寝坊して、上へ下への大騒ぎをくりひろげるフロエに、常日頃冷ややかな眼差しを送っている自分が、この体たらく。乗員の中でシヴュラのみに許された特権のひとつも、こう気忙しくては台無しだ。

 髪を拭くのもそこそこに大慌てで駆けもどると、今にも部屋を出ようとするユンとドアのところで鉢合わせた。

「先に行っている」

 ぶっきらぼうに指し示した先は、もちろん食堂。
 わかった、とひとつうなずき、入れちがいに部屋の中へ。光速で服を身につけ、最後の仕上げとばかり、まだ生乾きの髪にブラシを当てる。

「もうっ! 頼むから言うこと聞いてよ」

 手鏡に毛が生えたレベルのちんまりした鏡相手では、必要な個所を必要なタイミングで映すのは容易ではない。

 あれこれ角度を調節しながら、ようやく髪を編みこむ段階まで到達し、ホッとひと息ついた、まさにその隙を狙い撃つかのように現れたのだ。彼女――アーエルは。
 そして、例によってこちらの詰問口調など歯牙にもかけず、

「別に。あんたに用があったわけじゃない」

 そうきっぱり言い切るや、ひょいっと肩をすくめてみせた。
 相も変わらぬ人を食ったような態度。事あるごとにパライエッタがカリカリするのも無理はない。

 とはいえ、さすがのアーエルも、これでは少し言葉が足りないと思ったのか、

「ただ忘れ物をしたから、とりに来ただけ。あんたの邪魔をするつもりはないよ」

 と、しおらしくつけ加えた。

「忘れ物?」
「うん、じいちゃんの形見のオルゴール」

 あれか。思わず胸の奥で相槌を打った。
 以前一度だけ、他のシヴュラたちと一緒に聞かせてもらったことがある。聞き覚えはなかったが、なぜか魂の奥深いところで郷愁の念をかきたてられる、不思議なメロディーだった。

「……あっ、そう。なら、とっととすませて、とっとと出て行って」

 必要以上に語気が鋭くなったのは、何かにつけてペースを乱されることへの忌々しさ半分、照れ隠し半分。
 しかし、それを馬鹿正直に口にするわけにはいかなかった。この場でこれ以上話がややこしくなるのは、まっぴらごめんだった。
 それにアーエルの性格からすれば、多少きつい物言いをしたところで気に病むようなことはないだろう。

 そう、どこぞのお嬢様とはちがって。

「了解」

 案の定、こちらの苛立ちの波動を柳に風とばかり受け流すと、組んでいた腕をほどいて歩き出した。どこまでも悠然とした足どりで、自分のベッドとドアの間を往復する。

 その一部始終を、全身の毛を逆立てた猫さながら、警戒心をむき出しにして追いつづけた。
 ただし、顔は意地でも真正面に固定したまま。

 永遠とも思える時間――だが実際には恐らく一分かそこら――が経過し、ようやくアーエルが部屋と廊下をへだてる扉に到達した。
 やれやれ、これでやっとまた一人になれる――。安堵感がひたひたと胸を満たす。

 いや駄目だ。安心するのはまだ早い。
 何しろ相手はあのアーエルなのだ。

 そして悲しいかな、世の中嫌な予感ほどよく当たるときている。

「あのさ」

 ノブに手をかけたところで、やおらアーエルがくるりと反転した。
 間髪入れずに破顔一笑。

「おんなじなんだね、髪型。ロードレアモンと」

 時が――止まった。

 何か言わなくてはと気ばかり焦る。
 だが肝心の声が出てこない。情けないほどに頭の中は真っ白だった。こんな状態で、上手い切り返しの言葉など思いつくはずがない。

 こちらの動揺を知ってか知らずか、アーエルが嬉々としてたたみかける。

「いいんじゃない? あたし、そういうの嫌いじゃないし」

 好き嫌いの問題なのだろうか。それもアーエルの。

 ちがう。断じてちがう!

 ここへ来てようやく見出した反撃の糸口。
 しかし、それを口にする機会は永遠に訪れなかった。

 一瞬早く放たれた相手の三の矢が、こちらのウィークポイントを正確、かつ深々と射抜いたのだ。

「大丈夫。ロードレにはちゃんと黙ってるから」

 いったいぜんたい、何がどう大丈夫なのだろう。すでにして、こんなにも深い精神的ダメージを受けているのに。

 ハッと我に返ると、今しもアーエルがドアの向こうに姿を消そうとしていた。言うだけ言ってすっきりしたのか、その横顔にはいつもにもまして晴れ晴れとした笑みがはじけている。

 大部屋に一人とり残されたマミーナの口から、やがて深い深いため息がひとつ、ポロリとこぼれ落ちた。

「アーエルって、変な奴……!」

 それから何事もなかったように、髪を編む作業にもどった。
 小さな鏡の中で、時おりクスリと含み笑いを漏らす自分自身と向き合いながら――。



Fin.




10月10日に開催された〈COMIC CITY SPARK〉にて突発的に発行したペーパーからの再録になります。
今回サイトにアップするにあたって、私にしては珍しく、かなりあちこち手を入れました。
ラストに至っては、セリフそれ自体が変わっているとかいないとか……?
お手元にペーパーがある方は、両者の違いを見比べてみるのもまた一興かと存じます(苦笑)。



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