距 離



 深夜。
 人気のとだえた格納庫の片隅に、その機体はあった。覆いもかけられず、ひっそりと。

「このところ戦闘つづきで、在庫が切れてしまって…。ワポーリフから補充の要請が上がっていますが、現状ではなかなか手配が追いつきません」
「無理もない。そんなものが足りなくなる日が来るなど、誰も予想できなかったのだから」

 グラギエフのため息まじりの述懐が胸を刺す。
 今日一日で、片手にあまる数のシムーンが失われた。シムーン・シヴュラの犠牲にいたっては、軽くふた桁を越える。それはこの艦――アルクス・プリーマ所属のデュクスであるグラギエフにとって、まさに悪夢以外の何ものでもなかった。

 彼は責任感の強い男だ。人一倍感受性が豊かで、他人の痛みを、まるで我が事のように真摯に受けとめる。反面、自身の辛さや苦悩を口に出して訴えることは、めったにない。すべてを己の内へ内へと抱えこんでしまう。

――そんなに私は頼りないだろうか。

 ちがうと思いたい。ただ単に、彼が不器用すぎるだけなのだと。
 改めて目の前の機体に、そっと手をかけた。

「これが、シヴュラ・ネヴィリルと…」
「シヴュラ・アムリアのシムーンです、アヌビトゥフ」

 その名を呼ぶ時、グラギエフの声はわずかに震えていた。だが言葉とは裏腹に、視線は前部座席にぴたりと吸いついて離れない。頑として目をそらさず、一点を凝視している。彼は見たくないのだ。その場所を。
 アウリーガ席の、さらに後方に位置するサジッタのコクピットは、今やねじくれ、歪み、ほとんど原形をとどめていなかった。さながら、天からのびた巨大な手がシムーンをつかみ、力まかせに引きちぎろうとでもしたかのごとく。

「翠玉の、リ・マージョン……」

 空を埋めつくす圧倒的な数の敵機。周囲では次々と仲間のシムーンが堕ちていく。
 彼女は苛立っていた。悔しかった。
 そして問いかけた。自分たちは本当に無力なのか、と。無力なままで良いのかと。
 答えは――否。
 だから挑んだ。果敢にも。誰よりも強くなりたいと願う少女の一途さで。

「あの方らしい選択です」
「…シヴュラ・アムリア?」
「ええ。過去に誰一人として成功したことがない、ただ伝説の中でのみ語られる幻のリ・マージョン。そんなものを、よりにもよってあの場面でこころみるなど…」

 グラギエフはゆっくりと頭をふる。何度も何度も。

「他のどんなシヴュラも思いつかないでしょう。仮に脳裏をよぎったとしても、実行に移すとなれば話は別です。あれは研究が進んだ今も、その効果すら定かではないのですから」

 あまりに危険すぎます、と重々しくつけ加えた。
 実際アムリアたちは、最後まで航跡を描ききることができなかった。中途半端に展開された“場”は、直後もろくも崩壊。その衝撃波は、大地を揺るがすほど激しいものだった。
 国境地帯に雲霞のごとく群がった礁国の大軍を飲みこみ、蹴散らし、結果として退却に追いこんだことを思えば、完全な失敗とまでは言い切れない。そう冷静に評する声もあった。
 だが、それはあくまで副産物にすぎない。戦果と呼ぶのもおこがましい。誰よりもネヴィリル自身が、そのことをよく承知していた。

 無謀な賭けに打って出た代償を、自身の生命によってあがなったアムリア。
 そう、シヴュラ・アウレアは――我が宮国が誇る黄金の巫女は、己が半身を失ったのだ。永遠に。

――寒い…。

 夜の冷気がことさら身にしみる。服の下で、肌がぞくりと粟立つのを感じた。
 かたわらに立つグラギエフが、表情に苦衷をにじませて言った。

「シヴュラ・ネヴィリルの心中は、察してあまりあります。いえ、もちろん私ごときが、あの方のお気持ちを忖度するなど、恐れ多いことですが…」
「…私なら、私ならきっと耐えられない。パルを失うなどということは」
「アヌビトゥフ……?」

 とっさに、グラギエフの上着の袖をつかんだ。恥も外聞もなかった。そんなもの、知ったことか。

「君は耐えられるのか、グラギエフ!? もし――もし、失ったのが私だとしたら」

 馬鹿げた質問だった。しかも無意味だ。ここでこんな問いを発する意義など、これっぽっちもない。
 だが、間近にのぞきこんだ相手の眼は笑っていなかった。

「その答えは、アヌビトゥフ、あなた自身がよくご存知のはずです」
「聴きたいんだ。君の口から」

 これではまるで駄々っ子だ。

「そう、ですか。では…」

 音もなく最後の距離がつめられる。次の瞬間、ひたと合わされる唇。

「ん……」

 両頬にそえられた手のひらから、彼の内なる熱がじんわりと伝わってくる。
 彼の体温。彼の匂い。薄い生地越しに感じる引きしまった筋肉。
 彼は――グラギエフは生きて、今ここにいる。その確かな感触に心が震えた。

 ようやく唇が離れた時、つい先ほどまで全身にまとわりついていた悪寒は、跡形もなく消え去っていた。

「昔も今も、私のパルはあなた一人だけです、アヌビトゥフ」
「…何か上手くはぐらかされたような気がするな」

 もちろん本気で抗議しているわけではない。今はそれだけ聞ければ十分だった。

「シヴュラ・ネヴィリルは立ち直れるだろうか」
「お辛いでしょうが、立ち直っていただかなくてはなりません」

 辛いのは君も同じだろう――。そんな言葉を危ういところで飲みこむ。

「これが戦争、か……」

 シムーンが堕ち、シヴュラが戦死する。昨日ありえないと思っていたことが、今日現実のものとなる。そんな過酷な時代も、グラギエフと一緒ならば乗り切っていけると、何の根拠もなく信じている自分の甘さを、この時私はなぜかひどく愛おしいと思った。


Fin.



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