夜ぞ更けにける



 それは深夜、二人で酒を酌み交わしている時のことだった。

 巨大なアルクス・プリーマの片隅にひっそりと設けられた艦長室。こじんまりとしているとはいえ、個人でひと部屋占有できるのは艦長なればこそだ。他の乗員は、たとえシヴュラであっても、原則一室二名と定められている。

 つい先日、最愛のパルを失ったネヴィリルが新たな同室者を迎えることを頑としてこばみ、結果として個室状態がつづいている━━正確にはつづけることを許されている━━のは、彼女がシヴュラ・アウレアと呼ばれる存在であることと無縁ではない。
 だがそれも、あくまで一時的かつ例外的な措置であり、そう遠くない未来、この異常な状況を解消すべしという圧力がかかるのは必至だった。

 もちろん、選ばれし者の特権をむやみやたらと振りかざすような真似は、彼━━アヌビトゥフの好むところではない。だが、余人の干渉を受けずにこうしてゆったりとくつろげるのは、正直ありがたかった。おこぼれにあずかる身であれば、なおのこと。
 いつだったか、激務の合間を縫って杯を重ねるこの貴重な時間を指して、アヌビトゥフがこう言い表したことがある━━すなわち、自分にとってこれは“命の洗濯”に他ならないのだと。

「……少し飲みすぎではありませんか?」

 ためらいがちに声をかけたのは、今夜はこれでもう三度目になる。

「そうでもないさ」

 判で押したように一言一句同じ返答も、やはり三度目。

「これくらい、いつも飲んでいるじゃないか」
「いいえ、明らかに多いですよ」

 明らかに、のところにひときわ力をこめたが、さて、どれだけ伝わっただろうか。

「気のせいだよ、グラギエフ」

 案の定、まるで聞く耳を持たない。

 わかっている。彼は甘えているのだ━━この私に。わかっているだけに、今ひとつ強く出られない。
 そして、何とも性質(たち)の悪いことに、向こうはこちらの事情を十二分に承知している。承知した上で、思う存分甘えてくる。

━━まったく、堂々めぐりだ。

 業腹なことこの上ない。

 それにしても、今日の彼の酒量はさすがに目に余った。この勢いで飲みつづけたら、冗談でなく、明日は使い物にならなくなってしまう。

 どうやって切り上げさせたものかと思案する私の目の前で、アヌビトゥフは新たな一杯をグラスに注ぎ入れた。あろうことか、手酌(てじゃく)でだ。

「ちょっ…! いくら何でも……!!」
「うるさい」

 伸ばした手は、空しく宙をかいた。上体ごと邪険に押しもどされるに至って、少なからず傷つく。

「……そんな目で見ても駄目だ」

 プイッと横を向かれてしまった。

 いつもならこの“泣き落とし作戦”でけりがつくはずが、今夜にかぎってはなぜか通用しない。こうなっては、もうお手上げだった。
 昼間、私のあずかり知らないところで、何かよほど腹にすえかねることでもあったのだろうか。とにかく、私自身にはまるで思い当たる節がない。

「いったい、どうしたというのですか、アヌビトゥフ。今日のあなたは少しおかしい」

 応(いら)えはない。貝のように押し黙って、じっとグラスの底を見つめている。

 やがて、ポツリとつぶやいた。
 正確には、吐き捨てた。

「……私は時々、自分の浅ましさが嫌になる」

 それは、あまりにも唐突すぎる独白だった。

「どうしたのですか? 藪から棒に……」

 浅ましい、とはただごとではない。
 日ごろの自信に満ちあふれた態度は今やすっかり影をひそめ、代わって、暗く深い自己嫌悪の淵に頭のてっぺんまで沈みこんでいる。そのかつてない姿に、私は口の中が干上がるような恐怖を覚えた。

「アヌビトゥフ…。いったい何の根拠があって、あなたはそんなことを言うのです?」

 必死に問いかけた。今はとにかく、彼が胸の奥深くにためこんでいるものを吐き出させるのが先決だ。

「根拠、か……」
「ええ、そうです。聞かせてください」

 食い下がる私を正面から見返す紅玉の瞳。
 うっすらと底光りするその迫力に、全身全霊をかけて立ち向かう。
 これは勝負だ。負けるわけにはいかない。何としてでも。

 後になって振り返れば、にらみ合っていたのは、ほんの数分かそこらだった。だが、その時は永遠にも思えた。意地っ張りなことにかけては、互いに右に出る者はないと自負しているだけに、なかなか引っこみがつかないのだ。

 しかし何であれ、物事には終わりが存在する。
 深々とため息ひとつついた後、ようやくアヌビトゥフがその重い口を開いた。

「……私は知っているんだよ、グラギエフ。君が、出撃する巫女様方を見送るたびに、できるものなら自分が代わりたいと願っていることはね」
「それは…、デュクスであれば、誰しも考えることで……」
「誰でもではないよ。世の中、一人として同じ人間が存在しないように、デュクスにも色々いる」

 しどろもどろな反論は、あっさりと封じられた。
 何事もなかったかのように、アヌビトゥフは言葉を継いだ。

「そして、君は知らない。きっと想像もできないだろうね━━私がその同じ時、テンプスパティウムに感謝の念をささげているなどということは」
「感謝、ですか……?」
「そう、心の底から感謝している。君が今、シヴュラでなくて本当に良かった、と━━。……理由を聞きたいかい?」

 薄い唇の端を自嘲がかすめる。
 私は黙ってうなずいた。この状況で、うなずく以外にいったい何ができるだろう。

「もちろん、このアルクス・プリーマにこもっている方が生き延びる確率が高いからだ。シムーンを駆るよりもはるかに」

 ひと息に言い切るや、グラスに半分以上残っていたワインを一気に飲み干した。

 礁国・嶺国の攻勢が激しさを増す一方の現在、シムーンが戦闘を行えば、その場所がすなわち最前線となる。一方、母艦たるアルクス・プリーマに課せられている役割は、あくまで後衛が基本。どちらにとって死がより身近なものかなど、考えるまでもなかった。無数の銃弾が飛び交う空と薄い風防ひとつで隔てられているだけのシムーン・シヴュラは、そのひんやりと冷たい息吹を、常に肌身に感じながら戦っているのだ。

「アヌビトゥフ、あなたという人は……」
「呆れただろう? 私が日々、こんなことを考えていると知って」

 軽蔑してくれてかまわない━━。そううそぶく横顔に、黒々と影が落ちる。

「軽蔑だなんて、そんな……」

 私は、強く、大きく、頭(かぶり)を振った。

━━嫌だ、聞きたくない、見たくない……!

 自虐的なふるまいは、見ている方も辛いのだ。何より、彼という人間に似つかわしくない。なぜ、こんな簡単なこともわからないのだろう。

「……私を指して、何も知らない、想像もできないだろうと決めつけるのなら、あなたもそれは同じです、アヌビトゥフ!」

 言い放つと同時に、ドンッと力まかせにテーブルを叩いた。瓶が倒れんばかりの勢いに、さすがのアヌビトゥフも少しは酔いが醒めたのか、いっぱいに目を見開いて、こちらを注視している。

「あなたは自分をつかまえて浅ましい人間だと言いました。戦いの場におもむく巫女様方を横目に見ながら、私が今シヴュラでないことを喜ばずにはいられない自分自身に腹を立てているのだと。合っていますか?」
「ああ、そのとおりだ。だから……」

 のろのろと言いつのろうとするのを容赦なくさえぎって、私はたたみかけた。

「では、なぜそこからもう一歩、思考を先に進めようとしないのですか? ━━もしかしたら、そう考えているのは自分だけではないのかもしれない、と」
「……!!」

 絶句する様を、心ゆくまで堪能する。ここまで来れば、あともうひと押しだ。

「……わかりませんか? 私も結局、“同じ穴のむじな”なんですよ、あなたとね」

 一心同体ならぬ、いわば“一心同罪”。
 つまりは、そういうことだった。

「あなただけが罪を背負うことはないのですよ、アヌビトゥフ……」

 どうせ背負うなら一人より二人。荷が重ければ、分かち合うことの意義もいっそう深まろうというものだ。

「ああ、そうか……」

 フッと目を伏せて、アヌビトゥフはつぶやいた。

「私は大事なことを忘れていたよ、グラギエフ」
「何です?」
「すべての基本━━そう、私たちは“パル”なのだな、昔も今も」
「やれやれ、ようやく気づいてくれましたか」
「ああ、遅くなってすまない」

 何とも珍しい光景だった。時には鼻持ちならないと形容されることもある自信家が、ぐったりと力なく天井を仰ぎ見ながら、あまつさえ、謝罪めいた言葉を口にしている。
 彼がこんなふうに殊勝な表情を浮かべることができると知って、私はひそかに瞠目した。収穫と言ってもいい。

「たまには、こうして忌憚(きたん)のない意見をぶつけ合うのも悪くないですね」
「悪くはないが、正直、心臓にはよくないな」
「そう思うのでしたら、あなたも気をつけてください。寿命が縮むのはお互い様なのですから」

 降参の印か、大げさに肩をすくめてみせた。

「では、仲直りついでに、もう一杯……」
「まったく、どうして懲りないんですか、あなたという人は!」
「君こそ、どこまでケチ臭いんだ!」

 ふたたび火蓋を切った低次元な争い。けれども頭の片隅で、ふと独りごちている自分がいた。
 そう、確かに、こんな夜も悪くない……。


Fin.



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